Spazio sull'Arte a cura di Leonardo Marrone
イタリアや日本で開催されるイタリア美術関連の主なイベントを定期的に紹介していきます。 すべての展覧会日程を常に把握するのは容易ではありませんが、古代や古典芸術からイタリア現代アートにおける 最も新しい表現に至るまでの広い範囲を、できる限り情報更新していく予定です。 |
ナポリにあるカポディモンテ美術館は、イタリアを代表する美術館のひとつ。十八世紀に建てられた壮麗な宮殿には、ヨーロッパ史に名を残す大貴族ファルネーゼ家とブルボン家が収集した膨大な芸術品のコレクションが展示収蔵され、現在国立美術館として公開されています。本展では絵画、彫刻、工芸作品約八十点を選りすぐり、パルミジャニーノをはじめティツィアーノ、エル・グレコ、グイド・レーニなど、ルネサンスからバロックまでの巨匠の名品を紹介します
会期
2010年6月26日(土)〜9月26日(日)
開催会場
国立西洋美術館(東京・上野公園)〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7 開館時間 午前9時30分〜午後5時30分(金曜は午後8時閉館) 入館は閉館の30分前まで 休館日 毎週月曜日 *ただし、7月19日(月)、8月16日(月)、 9月20日(月)は開館、 7月20日(火)、9月21日(火)は休館 観覧料 一般1500(前売1300、団体1100)円 大学生1200(前売1000、団体800)円 高校生700(前売550、団体500)円 ※中学生以下無料、団体は20名以上 チケット発売所 国立西洋美術館、公式ホームページ(オンライン チケット)、イープラスなど主要プレイガイド 主催
国立西洋美術館、イタリア文化財省・カポディモンテ美術館、TBS、東京新聞
後援
外務省、文化庁、イタリア大使館
協賛
大日本印刷
協力
TBSラジオ、BS−TBS、ARTERIA、AXA ART、日本通運、日本貨物航空、日本航空、JR東日本、西洋美術振興財団 |
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今回はイタリアコミック界の二人の巨匠、 ルチアーノ・セッキ(作家、脚本家)とロベルト・ |
Max Bunker & Magnus
今回はイタリアコミック界の二人の巨匠、 ルチアーノ・セッキ(作家、脚本家)とロベルト・ロヴィオーラ(イラストレーダー)、ペンネーム Magnus&Bunker:を紹介します。 この二人のアニメ作家の作品は、イタリアの大衆映画“イタリアンコメディー“と同様、常に消費物として見られてきた。彼らの代表作‘クリミナル’や‘サタニック’は、当初月刊誌の掲載から始まり、その後週刊誌に移り、40年を経た今、すでにヴィンテージ的魅力とオーラを備えているにもかかわらず、ミロ・マナーラ、グイド・クレパックス、ウーゴ・プラッツら芸術的アニメ作家の作品とは違っている。彼らは主にキオスク(売店)で販売される大衆マンガを制作していた。60年代後半から70年代前半にかけて最も人気があったのは、ジュッサーニ姉妹の‘ディアボリック’とマグヌス&ブンケルの‘クリミナル’であったが、覆面をかぶった登場人物は他にもたくさん描かれていた。当時は多くのマンガ作家やその登場人物について、個々の違いを判別するのは容易ではなかったが、今日ようやく真に芸術的価値をもつものを認識できるようになった。
・あの二人に気をつけろ! ルチアーノ・セッキ 1939年生まれ。デビュー当初からストーリー構成において多方面に優れた発想力を発揮し、あるジャンルから別のジャンルへ自在に移行し、登場人物に深い心理的要素を与える才能を持っている。彼が書いた脚本と独創性は、60年代イタリアコミック界の発展に大きく貢献した。数多くの代表的な傑作には、マグヌスと共同製作で生まれた人物像のほかに、ピファレリオ氏作画(マックス・ブンケル原作作品も多く手掛けている)のデビュー作「黒い仮面(Maschera nera)」がある。 ロベルト・ラヴィオラ セッキ氏と同年代。96年没。最初の試験期間の後、すぐに芸術面で意気投合した。ブンケル原作の強みは、綿密に構成されたセリフであるが、マンニュスのイラストがなかったら、彼の作品も違うものになっていたはずだ。彼の描く線は非常に特徴的で、一目でそれとわかる。量感があり、柔らかで、しかも鮮明だ。多くの評論家が彼を論じ、その作風を模倣する者も続出した。 ・なぜ、成功したのか。 マンニュスとブンケルによるコミック界の革命は、まず古典的なコミックの基準をくつがえし、完璧に変えて、再構想したこと。それから当時のモラルや風習に対する率直な見方を提示したことである。実際、彼らの連載作品の中で最も重要な‘クリミナル’や‘サタニック’(ブラックコミック)では、主人公はネガティブなキャラクターとして設定されている。しかし彼の本質と彼を取り巻く環境に大差はない。その作品において善と悪の本質は同じものである。絶対的なモラルは存在しない。現実社会と同様、善人と悪人の間に明確な区別はない。またエロチシズムは、作品構成上、もう一つの重要な要素となっている。ネオレアリズムや同時代の文学作品にも多く登場するアンチヒーローのストーリーなのである。 ・ クリミナル、サタニック:暴力、テロ、セックス クリミナルとサタニックには、今日熱狂的なコレクターが存在する。60年代後半から70年代前半にかけて出版されたナンバーは、今日の世界中の収集家にとって極めて貴重なものになっている。いずれにせよこのような現象は、このコミックの歴史にとって、最終的な局面にすぎない。彼らの本当の成功は、キオスクで漫画雑誌の発売を待っていた多くの愛読者がいた時代にあったからだ。 クリミナルは、1964年8月に刊行された第一号以来、1974年419号までほぼ休むことなくイタリア中のキオスクで販売された。サタニックも同様に人気を獲得していった。最盛期には映画化も実現した(ディアヴォリックは、1968年にマリオ・ボヴァ監督が、同名のタイトルで映画化;1966年ウンベルト・レンツィ監督‘カルトムービークリミナル’、翌年フェルナンド・チェルキオ監督‘クリミナルの印’;サタニックは、1968年ピエトロ・ヴィヴァレッリ監督マグダ・コノプカ主演で同名のタイトルで映画化された。 一方で別の代表作‘アラン・フォードとTNTグループはまさしく革命だった。マックス&ブンケルの描くストーリーは1巻から75巻まで、イタリアコミック界を越えるもう一つの大きな驚きとなった。当初はあまり人気が出なかったが、徐々に(テーマや雰囲気はかなりかけ離れた)クリミナルやサタニックを凌ぐ現象を巻き起こしていった。スラップスティック(ドタバタ喜劇)風ギャング映画(ノアール)のジャンルにインスピレーションを得ているが、‘アラン・フォード’には、様々な天才的キャラクターが登場する。 ・お勧め 日本ではまだ、M&B作品の本格的な翻訳や配給が実現されていない。二人の天才の生み出す傑作は、わかりやすく楽しいので、今の日本の読者にも十分受け入れられると思う。
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ジョット・ディ・ボンドーネが絵画の世界だけにとどまらず、広い意味で芸術全般において新しい時代 |
ジョットと1300年代 「絵画界におけるの最高のマエストロ」 ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃/フィレンツェ近郊のコッレ・ディ・ヴェスピニャーノ生 ― 1337年/フィレンツェ没)が絵画の世界だけにとどまらず、広い意味で芸術全般において新しい時代の要となった人物であることは、1500年代にすでにジョルジョ・ヴァザーリが認め、今日ではこの芸術家に対する一般的な評価となっている。彼の師チマブエが作品の中で芸術の極致まで高めたビザンチン絵画の原型を段階的にではあるが、覆していった革新的な巨匠として絶対的な評価がある。たしかに、ルネサンスでは古典世界の芸術作品に対する体系的なアプローチや科学的研究がなされ、古典芸術の原型が時代に即したものとして甦ることを可能にしたが、ジョットはすでに、この遺産の重要性と前例のない現代的な用途を見抜いていた。 ローマのヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂では6月6日まで、150点以上の作品を展示し、「イタリア美術界における最初のイタリア人芸術家」に捧げる野心的な展覧会が開催されている。今日までのジョットの名声は、とくにフレスコ画作品における美しさと重要性にある。この展覧界のテーマはジョットの多くの傑作が生まれた行程を巡る旅であるのに、なぜパドヴァとアッシジが除外されているのか不思議に思うかもしれない。しかしながらフレスコ画は設置された場所から移動させることはできない。そこで、ジョットの作品だけでなく、彼の芸術から直接的に間接的に影響をうけた芸術家の作品を展示することによって、ジョット絵画の世界観を紹介するという手法をとっている。 この展覧会は、中世時代におけるイタリアの都市から都市を巡る長い旅である。 ジョットは、各地で作品の製作を依頼され、多くの作品を完成し、後世の芸術家にまで及ぶほどの影響を与えたのである。 トスカーナ出身の画家であるジョットのタブローの傑作の数々:バディア家の多翼祭壇画(ポリプティック), 、サンピエトロ大聖堂にあるナヴィチェッラの天使を配したモザイク、ペルッツィ家の多翼祭壇画、サンタ・レパラータ教会の多翼祭壇画に並んで、シモーネ・マルティーニ、ピエトロ・ロレンツィーニ、アルノルフォ・ディ・カンビオ、グッチョ・ディ・マンナイア 、アンドレア・プッチ・サルディ、クリストフォロ・オリマ、サンジョルジョ写本のマエストロなど同時代の巨匠の製作した絵画、彫刻、彩色写本、貴金属品が展示されている。
会場: Il Vittoriano (ヴィットリアーノは、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の俗称) 開館時間: 11:00〜23:00 月曜休館 インフォ:Beni Culturali punto it, Il Vittoriano |
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ヴァレンティーナの物語は、神経症のテーマに関係する非現実的な洗練されたエロティシズムが |
グイド クレパックス ミラノ・トリエンナーレ展で、グイド クレパックスが創りだしたファムファタル(魔性の女)のアイコンで漫画の登場人物の展覧会トリエンナーレ ボヴィーザは、9月21日から2009年2月1日まで、グイド クレパックスの漫画の登場人物ヴァレンティーナの展覧会を開催している。 ヴァレンティーナは、その時代の女性美の理想像(背が高くやせていることが、当時主流のモデルの基準とされた)を体現していた。とくに彼女の特徴であるショートボブが、映画女優ルイーズ・ブルックスを連想させた。サイレント映画最後の時代に活躍したブルックスは、様々な重要な役柄を演じていたが、とくにヴェデキント原作パブスト監督によって映画化された魔性の女“ルル”で人気を博した女優である。その演技は映画界と文学界における想像の世界に痕跡を残した。クレパックスのヴァレンティーナはこの女優の生まれ変わりのような存在であった。
会場: トリエンナーレ ボヴィーザ、 Via R. Lambruschini, 31 Milano 開館時間: 11:00〜23:00 月曜休館 インフォ: www.triennale.it 閉じる展示作品 |
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ジョヴァンニ・ベッリーニの絵画は、難解な美の形式を備えており、強い集中力とともに作品に入り込む |
ベッリーニ展 - スクデリア デル クイリナーレ美術館(ローマ) 「ベッリーニの全作品展が開催されたら、どんなに素晴らしいだろう。」と1949年に ロベルト・ロンギは書いていた。 今回、ルネサンス絵画の巨匠の一人、ジョヴァンニ・ベッリーニの個展が実現した。9月30日の初日を迎えるまで、マウロ・ルッコ氏やジョヴァンニ・ヴィッラ氏ら研究者グループは3年以上にわたる長い準備期間を費やした。 「現代的なものの中で最も古く、古いものの中で最も現代的」なジョヴァンニ・ベッリーニの絵画は、難解な美の形式を備えており、強い集中力とともに作品に入り込むのに必要な時間がなければ、なかなか到達し得ない世界である。ローマのスクデリア デル クイリナーレ美術館で開催中の展覧会では、劇場の舞台の幕を想わせる赤と作品にやっと届くほどに抑えられた照明によって薄明かりの宗教的な雰囲気が演出され、作品世界に近づくことを容易にしている。 35の美術館(ルーブル美術館、メトロポリタン博物館、ワシントンナショナルギャラリーなど)、個人所蔵のコレクションなど、全世界から65点の作品が集められた貴重な展示となっている。このヴェネチア巨匠の代表作のうち重要な数点が欠けているとはいえ(「統領レオナルド・ロレアン」はロンドンナショナルギャラリーに、最高傑作という見解が多いフリックコレクションの「聖フランチェスコ」はニューヨークに丁重に保管されている)、展示作品のなかには鑑賞する機会がほとんどないものもあり、しかも文献学的に一挙に並べて鑑賞できる。
ベッリーニの最初の作品で職人技の傑作とも言える壮麗で巨大な
「ペサロ祭壇画」をはじめ、
今回が初めての展示となっている作品が多く含まれている。大理石の帯状建築装飾(フリーズ)
を模した作品
「スキピオの節制」、
十字架上のキリスト像 十字架上のキリスト像
やピエタ像を描いた一連の全作品、
聖母マリアの古典美を備えた肖像画、油性の顔料と卵を使った絵の具を用いて表現された陶器のような
顔と血の流れる肋骨。これらの作品がすべて一同に集められ、ヴァリエーションと類似性を明確に見せている。 こうして特別な絵画展が実現した |
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英雄アウグストゥス(a.C.63年〜d.C.14年)の墓は、いつも最も非礼なあだ名(たとえば“虫歯”というような)で |
英雄アウグストゥス(a.C.63年〜d.C.14年)の墓は、(63 a.C. - 14 d.C.) いつも最も非礼なあだ名(たとえば“虫歯”というような)で呼ばれる犠牲者である。このようなあだ名がつくのは、何世紀もの間、全く注意を払われないまま放置された状態にあったことが原因である。 ある専門家は、この霊廟の有様を、「大量の土と歴史的堆積物と雑草から逃れようとする“石像”の巨人」という極めて高貴なイメージに喩えている。 今回、ローマ市は問題解決に向けて真剣な取り組みを開始した。すでに文化財保護局は2重の介入案(回復と再評価)を推進し、1930年代に実行された広場のプロジェクトの失敗に対して積極的な見直しを図ろうとしている。また、この発掘によって霊廟内部に保存される数千の大理石が回収される予定となっている。まず広場全体が落ち込んだ“穴”から霊廟を引き上げることから始めなければならない。古代と現在(巨大な城壁の堤を築いて高くなった)の地盤の段差は、遺跡を深く沈め、中心部を無意味な空洞に変えてしまった。このことは、有名でありながら不遇な遺跡に対するさらなる屈辱となった。 ローマに残るもう一つの重要な霊廟であり、カステルサンタンジェロの基底となっているアドリアーノ霊廟と比較すると、この遺跡が抱える問題が理解しやすい。たとえば「ふたつの霊廟のうち一見してどちらが大きいか」という質問をすると、誰でもアドリアーノ廟と答える。見た目の印象が錯覚を起こすからだ。実際にはアウグストゥス霊廟の直径は87メートル、アドリアーノ霊廟はわずか64メートルである。 霊廟は、道路のレベルよりも5メートルほど低いところにある。近隣の建築物は霊廟から60メートルほど離れている。このような配置は、1800年代末に破壊されたリペッタ港を含む考古学地区の中心として再生するには、あまり好ましくなかった。リペッタ港とは、今回の発掘によって再び現れる可能性のある場所である。 一連の小規模な介入とともに、より広い空間を確保するとして、以下の解決策が提示された:1930年代末にモルプルゴ が広場の再開発のために建設した4棟の建築物のうち2棟を除去。アウグストゥス霊廟の開放。カブール橋を2つの歩行者用の橋で代用。 この重要な地区の変遷をたどってみよう。長い歴史の中では、この地区が何度も再利用されてきたエピソードが残されている。この霊廟の隠された宝物がその歴史を伝えている。トラバーチン(大理石の一種)の採掘場のように略奪され、 コロンナ家によって要塞に転用された。ブドウ畑に活用されたこともある。1800年代には庶民の円形劇場「コレア」となり、その後3500人収容可能なコンサートホールを備えたローマ初の公会堂となった。1936年には閉鎖されたが、これを惜しむ声はとても多かった。有名な指揮者であるカルロ・マリア・ジュリーニは「音響効果は完璧だった。やわらかな音を生む最高の建築物だ」と絶賛した。 モルプルゴが設計し、ムッソリーニが実現した建築は、たくさんの曲がり角があるロータリー(循環交通)を生んだ。あまり喜んで通いたくなるような場所ではない。リペッタ通り、コルソ通り、トマチェッリ通り、テヴェレ河畔へ向かう時の通過地点にすぎない。回廊は高く寒々としている。外観は別として、ホームレスでさえ雨の日以外は外か側溝の花壇あたりで寝ている。 平和の祭壇(アラ・パチス)保護のためにマイアー(1)が設計した建築物が巻き起こした論争を通して、何らかの介入が、単なる義務というよりも必要なものであることが判明した。今後の予定としては、この地区の中心の再編成のほかにアメリカ人建築家による選択の見直し、2件の不遇な遺跡(霊廟と平和の祭壇)の再評価プロジェクト を含む地域の保(2)、隣接するサン・ロッコ教会 と荒廃した(平和の祭壇における最近の作業中に一部発掘された)リペッタ港の再評価。カヴール橋、ファシズムの時代の建築物、近隣区域の工事も想定されている。 いかなる結末を迎えるのか。モルプルゴの未解決プロジェクト(そのレベルはヒットラーの時代のシュペーアとは比較にならない)に介入するのは、正しいのか。マイアーの未来派的ケージ(箱)はどうなるのか。広場を開放すること、つまりローマの歴史における最も重要な証拠のひとつ(アウグストゥス霊廟とその広場)に相応の権威を返還することとムッソリーニが節約しながら実現した「素人的」プロジェクトのもつ「バランスのとれた」無秩序を維持することでは、どちらがより重要なのだろうか。 どう思いますか。
(1) マイアープロジェクトへの批判
マイアーの「怪物」に対する批判は「ガソリンスタンド」「ダラスのピッツェリア」:外観も配置も最悪。しかも最近では建物内部の環境の変化がもたらす問題が浮上し、アラパチスの存在自体が危惧されている。 (2) アラパチス(平和の祭壇:紀元前13〜9世紀) オッタヴィアヌスの平和な独裁時代における公的な構築物。コルソ通り近くの建物の地下室から断片が発見され、1930年代末に現在の場所に再現された。
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2008年4月、ヴェイオ公園(ローマの北32キロに位置する)で貴重なモザイクが発見された。それは歴史の |
2008年4月、ヴェイオ公園(ローマの北32キロに位置する)で貴重なモザイクが発見された。それは歴史の堆積に埋もれていただけでなく、欠けたタイルや壊れた便器、許可なく堂々とごみ捨て場と化し、ますます膨れ上がる何トンもの廃墟の中で埋もれていた。 最初に発見されたのは、 オスティアのネプチューンの浴場 に現存するモザイクに非常によく似た「海のダンス」が描かれたモザイクである。おそらく宿場の温泉施設の備品であったのだろう。長い歴史をもつこの公共建築物では、全部で6つの部屋が発見された。2世紀半ばから3世紀の初めに建設されたその構造物の上には、中世初期になってその他の部屋が建設された。 現在は、発掘されたものを美術品盗難、いたずら、破壊行為から守ることが必要とされている。修復された後、新たな財源が確保されるまで、この地域全体と埋蔵物が博物館として扱われるようになることを期待しつつ、再び覆われることになるだろう。今はまだ無理だ。 追記ヴェイオにおける美しい重要なモザイクの発見に関連して、ここ福岡で最近起きている同様の出来事を思いだし、比較を試みた。このようなケースが、日本では一般的で、今後も変わらないのは残念である。 前提:イタリアでは、体制の放任主義や侵害行為に対する懸念から、管理の不備を避けるため、多くの考古学区域は、調査と維持に必要な財源が確保されるまで、再び覆われる。このような区域は少なくとも理論上、一連の厳しい法律と厳密な規制プランによって保護されている。この規制の背景には、不可侵の文化財に対するだけでなく、歴史的記念物やイタリアと西洋文化の基礎となるものへの配慮がある。 この件に関して、日本では(その他のアジア諸国も)決して楽観視できない現実がある。日本社会が誇る組織力と機能性は残念ながら、文化破壊にも向けられる。私たちが住んでいる博多は、日本文化の起源と発達という点で、歴史的に大変重要な価値をもつ区域と言われている。私たちは、それを実感しながら、建造物遺産や社会的環境が組織的に解体、撤去されるのを目にしている。最近の悲劇の一例は、福岡市内の歴史的(そのような様相は保たれていない)地区で起きた:ホテル、ショッピングセンター、パチンコ店の建設が計画されていた地域の地下に、広範囲にわたる考古学区域が特定された。その後(運良く)この土地の所有者から考古学調査が許可された。市内の中心地に位置する以上、当然予測はされていたが、今回の発掘調査によって、祇園町で(ここは、今日まで公的私的立場の双方から数多くの破壊による犠牲を被ってきた場所である)推定では奈良時代の、網の目状に巡らされた石塀などの建築物の遺跡や出土品が発見された。一連の出来事はすべて公に執り行われたのであるが、新聞やメディアを通しての情報公開や宣伝などはほとんどなされなかったように思う。数日前、この考古学的遺産は法律にしたがって完全に更地となった。破壊を阻止する人、抗議する人、この件に興味をもつ人がいなかったのも、情報不足という条件の下では、驚くにあたらない。 これが、本当に日本の未来図なのだろうか。この国の長い伝統文化(内部から少しずつ消えかけている)が抱える大きな矛盾の一つである。
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美術評論家ヴィットリオ ズガルビは、アントニオ リガブエに捧げられたこの展覧会のカタログの中で、 |
Antonio Ligabue(アントニオ リガブエ) - ルールのない画家の複雑な芸術 美術評論家ヴィットリオ ズガルビは、アントニオ リガブエに捧げられたこの展覧会のカタログの中で、彼を「本当の最後の国民大衆的ポー川流域出身芸術家である」と定義した。さらに「リガブエは本物のプリミティヴである。大衆には愛されたが、 マンゾーニの芸術家の糞やデゥシャンの便器を愛する気取った評論家たちからは拒絶された。」と続けている。私生活でも芸術活動においても悲惨で過激なアウトサイダー芸術家であったリガブエは、常に極端な批評にさらされている。1900年代の偉大な芸術家でありながらとくに公的な評論からは不幸にも無視された芸術家の一人である。ミラノのパラッツォ・レアーレで開催されたこのすばらしい展覧会によって、この芸術家に対する記憶は再生し、当然受けるべき恩恵に浴すことになった。多くの入場者を動員し、出品は200点以上、事実上初期から20年代さらに1965年の死に至るまでのリガブエの絵画全作品の4分の一を占める。そのほかにデッサン、 ブロンズ彫刻やエッチングも含まれる。主題は異国情緒あふれる空想や牧歌的風景である。その主題は部分的に変更を加え、執拗な実験をしながら、何度も繰り返されている:ある種の動物、 とくにトラや豹、ライオン、クロゴケグモ、画家にとって遠い見知らぬ現実、自らの日常生活とはかなり異なるもの、自らの悲惨な状況から遠く離れたもの。素朴で簡潔なテクニックを用いながら、豊かな表現力と非常に強い感情を込めて描かれたある種の妄想である。彼の作品は過去においても現在においても、鑑賞者に対する直接的なメッセージであり、自分自身の障害と自虐行為のメタファーである。その作品に1800年代〜1900年代に生きたラヴァルの巨匠、税関史アンリ・ルソーの強い影響を認める者もいる。ルソーと同様、リガブエも「純朴で天才的」「ナイーフ派」の芸術家の典型とされている。展覧会ではヴァン・ゴッホを想起させる画家の一連の重要な自画像のほかに、数点の印象的な田園風景が展示されている。彼の描く自画像 はオランダの巨匠の厳格なものに比べ、むしろ自分自身をそれとなく嘲るようにみえる(たとえば蝿のとまった自画像)。彼の作品が余すところなく展示されたこの個展は、大衆から誤解され、批評家から過小評価された「巨匠」に近づく絶好の機会である。長い時間が経過したものの、1961年にローマのラ・バルカッチァギャラリーで開催された彼の初の個展をつなぐ理想的な掛け橋となった。 |
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“潰瘍”と題された完結作を描いた15枚の作品集のほかいろいろな作品や原画が集められた。 続きを読む |
2008年5月26日〜7月1日 CICLO “IMMAGINE” アンドレア・パツィエンツァ 没後20年 初期(1973年〜1977年)の作品とデッサン 参考文献および出版資料の出展 監修:フランチェスコ・モスキーニ、ガブリエル・ヴァドゥヴァ 解説:ジャチント・ディ・ピエトラントニオ パツィエンツァの初期の作品を展示 ここでは、1988年6月15日に亡くなったイタリア漫画界の偉大な作家に捧げられた新聞向け公式声明を紹介する: 彼の死から20年を経て5月26日、A.A.M.(Achitettura Arte Moderna)ギャラリー(バンキ ヴェッキ通り61番)では、アンドレア・パツィエンツァ展が開会された。“潰瘍”と題された完結作を描いた15枚の作品集のほかいろいろな作品や原画が集められた。この展示会は偉大なアーチストの没後20年を機に実現された。ボローニャ大学のダムス(美術・芸術・演劇学科)における経験の後、作家として早熟な才能を開花させたアンドレア・パツィエンツァであるが、この展覧会はそれ以前のペスカーラ時代における彼の形成過程の初期を回想するものである。 アンドレア・パツィエンツァは、最も有名で最も愛された漫画家の一人である。漫画を通して、1977年に起きた社会運動につながる世代の消失を語った。無数の作品を発表したが、作中人物において最も登場頻度の高いのは、若くて残忍なザナルディーと夢の冒険ペントタルである。また、フリジデール、フリーザー、イル マーレ、コルト マルテーゼ、コミック アート、リヌス、タンゴなど多くの雑誌にも掲載した。このギャラリーでは、マックス兄弟やアートギャラリー、カクテルなど初期に制作された原画が展示されている。 |
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ギリシャ芸術の存在の歴史を語るものである。 続きを読む |
美の力:ギリシャ芸術がイタリアを征服する |
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近年日本で開催されたイタリア芸術に関する事業の中で、おそらく最も重要なものに位置づけられる。ウフィッツィ美術館の展示室で保管されているティツィアーノのヴィーナスが、東京の国立西洋美術館で公開される... 続きを読む |
近年日本で開催されたイタリア芸術に関する事業の中で、おそらく最も重要なものに位置づけられる。ウフィッツィ美術館の展示室で保管されているティツィアーノのヴィーナスは、2008年3月3日から5月18日まで東京の国立西洋美術館において公開される。最近の傾向として、イタリアにかぎらず多くの美術館や博物館で、これまで貸出が許可されていなかった作品が、元の保管場所から遠く離れた(実際の距離だけでなく気候、温度、文化的にも大きな隔たりのある)場所へ出品のため貸し出されるようになり、その是非が議論されている。 |
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2008年2月3日まで、ローマのボルゲーゼ美術館では、新古典主義の巨匠アントニオ・カノーヴァ (1757年−1822年)の名作な彫刻やスケッチ、小さな絵などが鑑賞できる。 この展覧会は、 カノーヴァの経歴をたどっており、「Paolina Borghese ritratta come Venere Vincitrice」 (勝利ヴィーナスとしてのパオリーナ・ボルゲーゼ)をはじめ、カノーヴァの作品の特殊性を展示している。 ボルゲーゼ美術館に常設されてあるベルニーニの作品と一緒に、カノーヴァの高雅な作品の側面をうかがう事ができる。 そして、また彼の作品への明確な探究も展示されている。カノーヴァの探究は、特殊な社会・ 政治的風景のナポレオン時代のイタリアに作られていた作品に表れている。又は、当展覧会のテーマは、 理想化されている美である。理想化というけれども、この世の人間や、つまり当時の具象的なモデル (例えば、ボルゲーゼ家の人)、若しくは、キリスト教的なテーマ(例えば、マグダラのマリア聖女)がもとになっている。 ボルゲーゼ美術館の素晴らしく飾ってある部屋や廊下を抜け、そこに美しい回廊ができる。 |
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発見された場所の起源と用途について、多くの疑惑と論争を呼んでいる。
神話ではローマの建国者であるロムルスとレムスが狼に授乳を受けた洞窟とされている。
さらに伝承によると、後にアウグストゥス帝自身によって紀元前28年頃、
実際に儀式を執り行なう場所に変えられたとあり、これについては史実の裏付けもある。
今日、入手可能な資料をもとに立てられたより信憑性の高いもう一つの仮説によると、
これはモザイク装飾で飾られた完全な保存状態を保つニンフの神殿のきわめて希少な一例であり、
ルペルカリアと同様、歴史的に芸術的にも重要な価値を持っている。
数年のうちには、当初の二つの基本案に対し、さらに具体的な結論と明確な根拠が提示されるであろうと
研究機関は予測する。
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70点ほどの作品の中には、
たいへん貴重で重大な発見となるものも含まれている。手工芸品、壷、ギリシア、
前コリント期、アッティカ、エトルリア、アプリアの彫像など歴史的にも芸術的にも重要な価値を
もつ作品が盗難に遭い、
国外に流出し、売買され、学術的資料も添付されずに、
多くの国際的なコレクションの中に紛れ込んでいた。
返還された美術品は12月21日から2008年3月2日までクイリナーレ宮殿の法王アレッサンドロ7世の
ギャラリーの間とバンディエレの間において一同に公開される。
今回ようやくイタリアに返還された美術品と同様の運命を辿った、
たいへん重要な作品がこの他にも存在し、その返還が待たれている。
公式声明によると、その中にはエウフォニオの壷や“モルガンティーナのヴィーナス”があり、
ヴィーナス像は数年後に違法に持ち出された元の場所シチリア島に戻すことになっている。 | |